私が#ベッドタイムケンティーに救われた話
こんにちは
今回は先日起こった出来事についてです。
先日、KTTにてある動画が掲載されました。
それはけんとくんが自宅のベッドルームから動画を回し、お話をしてくれながら最後は優しい声で「おやすみ」と囁いてくれる動画なのですが、私、これが配信された時、友人と電話をしていまして、この時はキャーキャー言うだけ、まあ見る前からいろいろ話してて興奮状態だったのであまりの情報量の多さに麻痺してしんどいしか感じなかったのですが、翌日、起きてから、もう一度動画を見返したところ、昨日感じなかったいろんな思いが駆け巡りました。
この時感じたことを残しておきたいと思い、久しぶりにブログを開き必死に文字に起こしました。
まずは私がこの動画に出会うまでの経緯をお話しします。
実は私は、3月30日に大阪城ホールで開催される予定だったSexy Zoneのコンサートに行く予定でした。
彼らに出会ったのは昨年の10月という新規中の新規でしたが、とどまることの知らない想いにFCに入会し、コンサートに申し込み、ドキドキしながら当落を待ち、そして当選。本当に夢のようでした。
私は職業柄、平日休みのため土日への参戦は絶望的、平日でも月・火休みのためコンサート系はなかなか行く機会がなく…しかしこの大阪公演だけは30日の月曜が!しかも私はその時期長期出張で関西に!しかもしかもマリちゃんの誕生日!!!!!
これは行くしかなかったのです。当てるしかなかったのです。そして当たったのです。本当に嬉しかった。泣き叫びそうだった。仕事がかなりキツく辛い時期だったので余計に心に余裕がない中での朗報。
嬉しいのに全然実感が無くて不思議な感じ。
でも日を追うごとに「私、本当に当たったんだ…」
メールを何度も見返しては、「私、けんとくんに会えるんだ!彼らに会えるんだ!!」
ってそれを励みに仕事を頑張ってきました。
後の仕事で全然動けなくて、たくさん自分を責めては私がここにいていいのだろうかと思っても、「失敗してもこれをやり遂げなければ彼らに胸張って会いにいけない。あんなに私たちに夢を見せてくれている彼らのファンにふさわしい自分でありたい!」という気持ちからグッと踏ん張れたのです。
そんな精神的支柱であったセクゾコンが中止になった時、私は、怖いほど冷静に、受け入れている自分に驚いたのです。
仕方がない
舞台やコンサート、イベントが軒並み中止になっている現状を見ながら、これで中止にならないことの方がおかしいと、この事態を受け入れてしまっていたのです。
涙は出ませんでした。
どうしてって思うこともありませんでした。
誰かに支えられなければ立っていられないほど心が崩れることもありませんでした。
セクゾコン、中止になっちゃったんだーって同期に言えてしまえるほどでした。
多少の心のブレはありましたが、日を追うごとにそのブレは薄れ、何も感じなくなりました。
そこから、彼らを見ている時の感情がどんどん薄まっていくのを感じました。
Jに関して、心を閉ざす毎日が訪れ、遂に情報もほぼ見なくなっていきました。
今思えば、この時の私は中止の発表を自分の中で全く消化できていなかったのだと思います。
あまりにもショックが大きすぎて何も感じられない状態だったのです。
でもそんなシャットダウンした中でも、未満警察の初回放送は唯一の楽しみとして心にありました。
セクシーのライブ配信を頑張って見てはみましたが、見ても複雑な思いしか浮かばず未だに最後まで見ることができませんでした(実はこのブログを書き上げた今も見れていない)
未満警察は、けんとくんであっても役があるからけんとくんじゃないし、良いリハビリになると思って楽しみだったのです。
それがどうですか、未満警察の初回放送が見送りになりました。
正直ここまでくると笑えてきます。
コンサートはたくさんの人が集まって声を上げる場だし、舞台はコンサートよりは危険度は低いといっても劇場に行くまでにもリスクがついてくるし、だから自粛の対象になるのは分かるんです。
でもドラマが延期になるのは本当に分からなくて。
もちろん撮影にもドラマが放送されるまでにもたくさんの方が関わっていて、その人たちは現場でずっとお仕事されていて、在宅勤務という概念がない環境でお仕事されていることも分かっています。それに出演者の方々はもちろんマスクをしながらなんて撮影できないし、誰かが感染していたら危険度はかなり高いし、皆さんの健康維持のために撮影が自粛されるのも、特別番組のために放送見送りになる理由も重々承知をしています。
でも、出来上がっている分だけでも放送してほしい。という想いが溢れてしまってどうしようもありませんでした。
酷い精神状態に陥っている私にとってこの初回放送見送りという打撃はさらにJ界隈から心が離れてしまうには十分すぎる出来事でした。
たまにはメンバーのブログも読みましたが、顔が良いな~とかサラッと文章を読むだけで、そこに込められた思いについて深く考えたり、毎日チェックする気にはなれませんでした。
私の職場でも仕事ができなくなり、更に精神状態が悪化する中、比例するように食欲がなくなり、食事の回数はかなり減り、2日に1回食事をとる生活。食べたい物も分からない、今自分がお腹が空いているのかも喉が渇いているのかもわからない、食事を取らない分動くことができず、ベッドから起き上がってお風呂に行くのも一苦労で、栄養不足から肌も荒れるわ、肌が荒れている自分を見るのが嫌で鏡に目隠しをつけて現実から逃げるわでもうボロボロ。
やっと気力が湧いたのはKTTからあの動画が出る3日ほど前に友人二人と電話をした時くらいからでした。
そこから3日酷い生活をしてしまいましたが、なんとか精神は安定し始めました。
精神は安定しつつあっても、J界隈に対しての壁は全く壊せない日々。
そして迎えたあの動画、最初にお話したようにその日はただただ叫んで終わりましたが、その後友人と話した真面目な話のおかげでだいぶ頭が整理された状態で眠りにつきました。今思うとあんなに何も考えずに眠りにつくのは久しぶりだったと思います。
翌日、スッキリとした頭で起床した私は、もう一度あの動画を見てみました。その時思ったことをここからはお話していきたいと思います。
解放
何故だか私はあの彼の声を聴き、なんだか許された気がしたのです。
かわいいあくびから始まるあの動画の中で、何かこの状況について語られることは一切ありません。たわいもない話題を投げかけてくれて、そうだったんだねってきゅっと口角を上げて、自分はこうだったよって優しく教えてくれるだけなんですが、私はそんな彼に心が解されていくのを感じました。
それはまるで
「泣きたかったら泣いていいんだよ」
「悲しかったら、悲しいって言っていいんだよ」
「この状況を変えることはできないけれど、受け止めるよ」
って言われているような感覚になったのです。
そんなあまりにも大きすぎる彼の包容力に、“私が公演中止を告げられたあの日から閉ざした気持ちを解放すること“を彼が許してくれたように思えたのです。
そしてやっと気付いたのです。
彼も、同じだということ。
私は周りに同じ状況の人がいないから余計に自分の悲しさばかり見えてしまっていたのです。
でも違う、彼も、彼らも同じだということ。
彼らも同じ悲しさを持ってるということ。
でも彼らは私たちのために動いて楽しいことを届けようとしているってこと。
私はそれが「置いてかれてる」って思ってしまっていたこと。
いろいろ。見えていませんでした。
彼の優しい声、表情、言葉。
隣に座って、同じ目線で、言葉を届けてくれる優しさに私は救われました。
同じ。同じなんだ。
やっと私は思うことができました。
彼らに会えなくて、悔しい。悲しい。って。
初めて涙が流れました。
私は、この事態を素直に悲しいと言える人が羨ましかった。本気で悔しむ人を見て、私は心が腐ってるんだと思っていた。「仕方ない」って片付けてる自分が嫌だった。
自分自身の素直な心を自粛していたのは、世間の雰囲気ではなく、自分自身だった。
その事にやっと気付いたのです。
私はこの先、失ってしまった2020年3月30日をきっと取り戻すことはできないと思います。
今までは本当に楽しみにしていたことを奪われたその先を見るのが怖くて、未来なんて考えたくなかった。
でもその先にある彼らと過ごす幸せな日々を、今なら思い描きたいって思えるんです。
彼がその心を思い出させてくれたんです。
彼らはずっと先で生きてるって思っていたからこそその遠さに悲しくなったし、私たちのことなんか見えてないって、彼らは強いからあんなに前向きでいられるんだって思っていたけど、彼らは道を作ってくれていただけだったんです。
横を見たらちゃんといてくれた。笑顔で。私が泣き出せなくて、しゃがみこんで俯いていても、ずっとずっと横にいてくれていた。私たちが進むべき未来を照らしながらもずっと隣にいてくれたんです。
それに私は気づけなかった。
きっと彼らの心も悲しみに襲われていたと思う。でもその暗い部分を持ちながらも必死に耐えて私たちを包んで守ってくれていた。
その優しさを素直に受けることができなかった。そのことに対してとてつもなく悲しくなるけれど、そんな自分も愛したいって思える。これも彼が教えてくれたこと。
今回感じたこと絶対忘れたくないから、こういう形で残します。
ありがとう
何度言っても足りないです。
本当に、ありがとう
これからも暗い日々が続いていくし、もしかしたらもっと厳しい状況になって、今以上に娯楽が削られていく世の中になるかもしれない。
いつまでもみんなが健康でいられる状況が続くとは限らない。
また不安に襲われて、どうしようもなくなって大切なことが見えなくなったり、大切な人の言葉が信じられなくなることがあるかもしれない。
やっぱり私は独りだって思ってしまうかもしれない。
またそう思ってしまってもいい。そんな時に立ち止まってしまっても、俯いてしまっても、また横を見れる人間であれば、きっとその時もいつもの笑顔で彼らが隣にいてくれることに気づけるはずだから。
進むのが怖くなったら、立ち止まってみる。
一度目を閉じて、深呼吸してみる。
急いで進もうとしなくても大丈夫。
強くあろうとしなくて大丈夫。
泣きたい時にはたくさん泣いて、泣き止んだらまた、彼らと一緒に、ゆっくり進んでいける。
そんな風に思わせてくれる、 Sexy Zoneというグループを信じて、ついていこうと思う。
いつか絶対に、笑顔で、会おうね。
約束。
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